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イヤル・ハレウベニさんは、6代前の先祖が18世紀にペルシャからサファド(イスラエル北部の街・ガリラヤ地方)に移ってきたユダヤ人の家系に生まれている。祖父はシナゴーグの聖歌歌手だったという。迫力ある180センチを超す体格と剃り上げた頭に、思索的な眼差しと物静かな話し方が対照的である。不思議なことにハレウベニさんは、サファド近くの村から2歳の時に追われてレバノンで難民になったパレスチナ人の友人に、雰囲気が非常に似ている。それを彼にいうと、「それはガリラヤの血だよ」と笑って答えた。 大学では東アジア研究を学び、日本文化に造詣が深く、竜安寺の石庭を訪れた時には修学旅行の中学生に僧侶と間違えられたそうだ。占領地での兵役を拒否して投獄された時は、鈴木大拙の「禅の研究」を読んだと言う。
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イスラエルの平和運動をしている人々の中には、野心的で、パレスチナ人を見下し、うんざりするような傲慢な人が時々見受けられるが、ハレウベニさんが属す「イエシュ・グブウル」や「グシュ・シャローム(平和ブロック)」など左派といわれるグループの人々は、みなとても生真面目で誠実で、慎ましやかな人が多い。ユダヤ人の歴史を正統に引き継いでいるのはこのような人たちだと思う。
その彼らにとっても、難民問題は複雑である。講演会でも「難民の帰還」についての質問が出された。占領地だけでなくイスラエル国内の殆どの土地はかつてパレスチナ人の土地であり、そこに住んでいた人々やその子孫が帰還するとなると、多くのイスラエル人は生活の基盤を失うことになる。一緒に来日していた「バット・シャローム(平和の娘たち)」という平和団体で活躍する恋人のタリーさんは、「難民問題が解決するのにあと50年かかる」とため息をついた。
むしろ第三者である私たち、難民としてレバノンに住んでいるパレスチナ人ともイスラエル人とも話し合うことが出来る私たちの方が、客観的に冷静にこの問題を提起することが出来るのかもしれない。ただ現状では、67年の占領地からのイスラエル軍の撤退という緊急の課題を解決し、双方の信頼が醸成されること無しには、そのさきに横たわる48年の戦争と難民について解決することは出来ないだろうことだ。
パレスチナ子どものキャンペーンが、イエシュ・グブウルのメンバーを日本に招いたのは2回目である。最初は1988年で、第1次インティファーダが始まってすぐのときであった。それから14年経って、亡霊のようなシャロンが首相になり、また同じように話を聞くとは思っても見なかった。イスラエルとパレスチナを巡る状況は一進一退で、先行きは不透明である。しかしかつては曖昧な面もあったイエシュ・グブウルの主張も明快になった。日本の世論にも問題の本質が見えてきたと思いたい。ハレウベニさんは、「今最悪の時だが、これも産みの苦しみだと思う。そんなに遠くない時期に状況は変わる」と希望的であった。
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占領に反対するイスラエルの兵役拒否運動
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イスラエルは過去35年間にわたって350万人のパレスチナ人を支配してきました。イスラエルの占領政策は大変冷酷なものです。どんなに非人道的な占領政策をしているのか、少しお話ししたいと思います。
日本では通勤に一時間以上かかると聞きますが、その距離を仕事に行くとしたら、パレスチナ人は朝の3時か4時かに起きて、そして何カ所もあるイスラエルの検問所を通り抜けなければなりません。うまく通り抜けられたら幸運で、何時間もかけて仕事場に着くという感じです。しかも、そのイスラエル軍の検問所では、若い兵士によって、パレスチナ人であれば幼児であろうと老人であろうと非常に屈辱的に扱われます。検問所では日常的に、出産のために病院に向かうたくさんの妊婦が途中で留められ、そこから先に行くことを許されず、そのために多くの赤ん坊たちが亡くなっています。救急車も殆どが検問所で止められ、手遅れで死亡することが多くなっています
パレスチナ人たちはこの土地に何世紀も或いは千年以上にわたって住んできたわけです。しかしその土地はイスラエルが没収して、入植地を作っているわけです。パレスチナ人たちが小麦を作っていた畑がイスラエルの入植地になっている。入植地の面積は、西岸とガザの約半分に達しています。入植地は西岸やガザの中に点々とありますが、入植者たちはパレスチナ人たちと同じ道路を使うのを恐れて、或いは入植地と入植地を結ぶために、新しい道路を造っていますが、それはまたパレスチナ人の土地を取り上げた上に作られます。
イスラエルを唯一支援しているアメリカさえも、新しい入植地の建設に反対をしていますから、ある種のトリックを使って、どんどん新しい入植地を作っているわけです。例えば、ラマッラの近くにベイトエルという入植地がありますが、実は一つの入植地ではなく、ベイトエルA、ベイトエルB、ベイトエルC、ベイトエルD、と同じ名前を被せたいくつもの入植地なのです。
慢性疾患で、あるいは子どもが急病で医者へ行こうと思っても、外出禁止令や検問所のためにいつ行けるのか、何日後に薬をもらうことができるのかさえ分からない状態です。しかもパレスチナの病院は新しい設備を備えるにも、一々イスラエルから許可がないと買うことさえできないのです。
水の問題があります。入植地にはスイミング・プールがありますが、そのすぐ横にあるパレスチナ人の村では、何日間も水が出ないことが珍しくありません。下水の問題もあります。イスラエル側はパレスチナに下水施設をもちろん作りませんが、パレスチナ側もイスラエルの下水施設と自分たちの村の下水設備を繋げていくと、入植地を認めることになるので反対しています。それだけでも大きな環境問題が起きています。
これも日常的な事態ですが、昨年1年間に何千軒もパレスチナ人の民家がイスラエル軍によって破壊されています。3月末からのイスラエル軍の侵攻作戦では、難民キャンプに対する食料供給を数週間にわたって止めていますし、医薬品の搬入さえ同じように長期間にわったってストップさせています。2000年の10月に始まった現在のインティファーダで、犠牲になったパレスチナ人の4分の1は子どもたちです。
こうした状況にあるからこそ、イエシュ・グブウルは、占領に自分たちが荷担するということを拒否しているのです。宣言文に署名した人が1000人ほどいます。「まっとうな人間は家を壊さない。子どもを殺したりしない、女性や赤ちゃんを殺したりしない。私たちは食料や医薬品の搬入を止めたりしない。救急車を止めたりしない」。
最近のジェニンで、実際に現場で何があったのか、そこで何人の人が亡くなったのか、いまもって分かりません。パレスチナ側は500人と言い、イスラエル軍スポークスマンは200人と言い、先週の段階で遺体が見つかった人が60人とか70人とか言われています。このジェニンの状況はまるで大地震の後の神戸です。事件が起きてから11日間にわたって、そこに住んでいる人たちは水も食料も医薬品もその他すべてを搬入することを拒否されたのです。ですから、実際にどのくらいの人たちが亡くなったのか簡単には分からないのです。2週間ほど前に、戦車が母親と2人の子どもに至近距離で発砲して殺害した事件などは、「通常の手順に従っていた」ということで、調査の対象にもなっていません。また、しばしば「兵士のみを守るため」と投石をしたパレスチナの少年たちが射殺されていますが、イスラエルの狙撃兵は、1500メートルもの射程距離を持つライフルを使っていますから、兵士が身の危険を感じることなどありえないのです。
ご存じのようにイスラエルは、ホロコーストで600万人が無惨に殺されて、その結果建国された国です。イスラエルの中にはナチスがユダヤ人口の三分の一以上を殺した時に、何も言わなかった国際世論には、イスラエルにものを言う資格はないという人たちがいます。また、「ホロコーストでこれだけ酷い目に遭ったんだから私たちは何をやってもいいんだ」と主張する人たちも未だにいますし、イスラエル人がマラソン大会で負けても「私たちは迫害の歴史があったのでビリになったから、もっと良い着番にするべきだ」と主張するという小咄さえイスラエルにはあります。でも私達はそうは考えていません。イスラエルによる占領も戦争犯罪も許されないのです。
おそらく日本の皆さんには、イスラエルにおいて軍隊に参加することの意味、イスラエル軍がどういう重みを持っているのか理解するのは難しいかもしれません。イスラエルは大変若い国で、建国されてから54年しか経っていませんが、軍隊が国家の中で非常に重要な役割を持っています
イスラエル国民は、男性の場合は18歳から21歳までの3年間、女性の場合は18歳から20歳までの約2年間兵役の任務があります。しかも、イスラエルの若者たちの多くは3年以上軍隊にいます。というのは、長く兵役につけばつくほど軍隊の中でのキャリアが望めるからです。また私たちは、幼稚園の頃からすでに兵役につくことを教え込まれるという社会的な環境の中で育っています。幼稚園での仮装行事にもっとも人気があるのは兵士の扮装です。高校には軍のエリート部隊から勧誘員がきて、入隊前の高校生にうちの部隊に来ないか、という勧誘があるのです。重要なのは、軍隊で知り合った友だちが生涯にわたっての友人になることでしょう。同じ部隊の同僚兵士との関係を壊したくないから、兵役を拒否出来ないという人は非常にたくさんいます。また私たちは普段の生活の中でも軍隊言葉を日常的に使っているのです。
イスラエルの政治家の多くは軍隊出身、しかも上級将校たちです。もちろんシャロン首相もその一人で、彼は50年代に特殊部隊を作り、キリヤ村の虐殺事件のようないわゆる戦争犯罪にも多く関わっているわけです。50年代にヨルダン川西岸近くにあったキリヤ村にイスラエル軍の特殊部隊が侵入して、40軒の家を爆破しました。しかもその40軒には、住民がいたままだったので、女性や子ども70人以上が爆破によって殺されてしまいました。最近の歴代の首相を見てもバラクは参謀総長、ナタニヤフは特殊部隊の上級将校、ペレス(現在外相)も国防省次官をしていました。それから暗殺されたラビン首相は参謀総長でした。イスラエルのジョークは、イスラエルには国防軍があるのではなく、国防軍の中にイスラエルという国がある、といいます。
これほどイスラエルの国内において重要な位置を占めている軍隊が、特に2000年秋のインティファーダ以降、日常的に戦争犯罪をしているのですから、非常に大きな問題です。
「イエシュ・グブウル」とは限界があるというヘブライ語で、「もう我慢できない」という口語的な表現が元ですが、領土的にも限界があるという意味を持っています。イスラエルが、国境線を決めずに戦争によって領土的に拡大しているのに反対して、占領地から撤退することを主張し、イスラエル社会の軍事主義的な要素を少しでも減らすことを目的にしています。
イエシュ・グブウルが創設されたのは、1982年のレバノン戦争の最中、ちょうど20年前でした。当時の国防相は今の首相のアリエル・シャロンで、隣国レバノンに侵攻して、中東に「新秩序」を建設しようとしたわけです。レバノン戦争以前には、イスラエルの政治家は皆「わが国は自分から進んで戦争をしたことはない、イスラエルがしている戦争は外から強いられた戦争である」と主張していたわけですが、そういう言い方でいえば、レバノン戦争は、イスラエルが選択し、イスラエルが起こした戦争です。その時にイエシュ・グブウルは「この戦争に私たちは加担しない」「この戦争は私たちの国を守る戦争ではないからだ」と主張しました。それ以前、1970年代にも占領地での兵役を拒否する人がいなかったわけではありません。その一人にイツハク・レビンという有名な詩人もいます。
イエシュ・グブウルのメンバーの多くは、いわゆる絶対的な平和主義者ではありませんから、軍隊に入って兵役につくこと自体を拒否しているわけではありません。イスラエルでは、3年間の兵役を終えたあとも、45歳になるまで毎年45日間は予備役兵として兵役につくことが義務づけられています。私はイスラエルに軍隊は必要だと考えていて、そしてまた、将来にわたっても必要であろうと考えています。しかし、兵士である前に一人の市民であって、それぞれ自分自身の基準があり、ここから先は命令されても服従しない限界というものを持っていると考えています。
1982年のレバノン戦争では、168人の人たちが兵役につくことを拒否したために投獄されて、その人たちを支援するということで活動が始まりました。その後イスラエル軍がレバノンから撤退したのは2000年5月です。イスラエル軍が撤退するまでになんと18年間経っています。しかし、すでに1985年からイスラエル軍は予備役兵をレバノンに派遣することを止めました。なぜ予備役を派遣することをやめたかというと、イエシュ・グブウルの運動があったからです。
1987年に始まった第一次のインティファーダ、これは93年まで続きましたが、その時に占領地での兵役につくことを拒否し、なおかつ投獄された人が200名ぐらいいました。イエシュ・グブウルはその兵士たちを支える運動もしました。
2000年の秋から始まる第二次インティファーダでは、占領地での兵役を拒否して投獄された兵士の数は5月初めまでで120人にのぼり、先に触れたイエシュ・グブウルの宣言文に署名をして占領地で兵役につくことを拒否した人たちはすでに1000人を超えています。また、別の拒否者の団体(「勇気を持って拒否しよう」という名前)の宣言文にも、多くの人たちが署名をしています。 3月末にイスラエル軍が占領地への侵攻を強めた時に軍務拒否をし、かつ投獄された人数は、一度に44人を超えました。レバノン戦争時に同時に投獄されている人数が20人ぐらいだったことを考えれば、拒否者の数がどれだけ増えているかということが分かると思います。第二次インティファーダが始まったとき最初に兵役につくことを拒否して投獄された人は、ノーム・カズンといいます。この青年は徴兵された若い兵士で、そのお父さんロン・カズンも20年前のレバノン戦争の時に拒否をした人です。こうして拒否者の第二世代が新しくイエシュ・グブウルに参加してきています。
兵役拒否者には、イスラエル社会の上層に属する人たちも増えてきています。非常に有名な将軍の息子であったり、テルアビブ大学の有名な医者であったり、あるいは有名なパイロットが私達の仲間に入っています。また、各地の大学や研究者の中でもこの運動が広まっていて、占領地の兵役につくことを求められたら拒否するという人数が非常に増えてきています。社会的にも認知が進み、リーフレットを配布しても以前のように敵対的な対応を受けなくなりました。
私自身がどうしてイエシュ・グブウルに参加するようになったかお話しましょう。私が最初に軍隊に行ったのは1979年です。当時、私が配属されたところはテルアビブの近くの非戦闘部隊でしたから、レバノンでの軍務にも占領地での軍務にも関係のない部署でした。しかし私は82年9月に起きたシャブラ・シャティーラの虐殺事件以前から、レバノン戦争自体に批判的で、シャロンが中東全体に暴力と破壊をもたらすことに対して我慢が出来ないと思っていました。軍隊にいれば、いろいろな情報が伝わりますし、友人の一人はレバノンでなくなりました。それでも当時の私は実戦部隊に所属せず、気楽な任務についていたので、拒否というのは直接の問題ではありませんでした。
しかし、1987年に第一次インティファーダが始まった時に、当時も所属は占領地ではなかったのですが、イエシュ・グブウルのメンバーになって活動しなければいけないと考えました。当時の国防相だったイツハク・ラビンが「パレスチナ人の手足の骨を折れ」という命令を下したということがきっかけでした。実際1987年にインティファーダが始まるまで、イスラエル国民の多くは占領の実態について、ほとんど思いを至らせなかった、ぜんぜん実感を持っていなかったと思います。イスラエルの教育はいまだにアラブ、つまりパレスチナ人の存在を無視して行われています。若者が人生ではじめてパレスチナ人と接するのは、軍隊の兵士として銃口を向けるときなのです。労働党政権の時に、メレツ党の教育相がパレスチナを代表する詩人のマフムードダルウィーシュの詩を教科書に載せようとして物議をかもして、結局断念しましたが、現代のパレスチナの文学さえ殆どヘブライ語に翻訳されていません。
それ以来、私はイエシュ・グブウルの講演会に出たり、デモに参加したり、いろいろな活動によって、市民的な不服従という考え方、マハトマ・ガンディーとか、マーティン・ルーサー・キング牧師らが唱えていることを知るようになってきました。1995年に所属部隊が変わり、新しい部隊に移ったわけですが、そこはほとんどが占領地での任務というような部隊でした。最初の上官との面談で、なぜ占領地の軍務につきたくないのかという理由を説明しました。そのために自分自身が代償を払う、つまり軍事刑務所に投獄されることがあっても拒否するということです。
3年後、メギド刑務所に配属されることになりました。そこに収容されている人たちは、ほとんど占領地のパレスチナ人です。刑務所の所在地自体はイスラエルの国内にありますが、占領地に近いところにあるために占領地のパレスチナ人の「行政拘留」の場所として使われています。行政拘留は、イスラエルが英国の移民統治から学んだ非常に悪賢いテクニックで、委任統治が終わった48年以降も旧ヨルダン領である西岸地域で使われていたものです。具体的には、捕まえられた人は何が理由(罪状)で捕まえられたのか、一切告げられることもなく、また裁判にかけることもなく、5年以上にわたって理由も期限もなく勾留されるという懲罰です。例えば、イスラエルの情報提供者になることを拒否しただけで捕まえられている人たちもいます。当時、約100人のパレスチナ人がメギド刑務所に行政勾留されていました。現在、行政勾留で捕まえられているパレスチナ人はなんと700人もいます。私は当然この任務を拒否して、その結果として2週間軍事刑務所に投獄されるという判決を受けました。
次に配属されたのは、入植地を警備する任務でした。当然ながら私はこれも拒否しましたが、上官はあきれてというかあきらめて、その部隊から私を追放したわけです。そのお陰かどうか、その後配属された部隊はイスラエル国内の任務で、占領政策とまったく関係のない任務でしたので、私は兵役をずっと続けています。それ以来、イエシュ・グブウルの中心的な活動を担うようになりました。
イエシュ・グブウルは実際にどういう活動をしているのか。兵士の多くは、軍務拒否をして投獄されることがどんなことか、それを考えるだけで不安になってしまいます。ですから、まず心配している人たちに投獄された経験のある人たちと話をする機会を作ります。また上官に対してどのように受け答えをするのか、質問されたらどう答えるのか、事前にどのような準備するのか、というようなことをアドバイスします。私たちは兵役拒否をしたい兵士のためのホットラインを設置していて、24時間いつでも、不安を感じたり、相談したいと思ったら電話をかけてくださいと言っています。このホットラインで、電話をかけてくる兵士たちに具体的なアドバイスをし、獄中ではどんな生活が待っているのかというようなことを答えるのが私の役目です。
予備役兵は60日前に招集を受けます。予備役招集があってから部隊に入るまでに2ヶ月間という充分な期間がありますので、早くから上官や司令官たちと、なぜ自分は任務につくことが嫌なのか、拒否するのかという話をするようにアドバイスします。イエシュ・グブウルに相談して兵役を拒否した人は500人を超えていますが、いままでの経験では、だいたい拒否者の5分の1ぐらいの人しか実際に投獄されていません。
兵役につきたくない人の中には別の迂回したやり方をする人もいます。医者のところへ行って「健康上問題がある」という診断書をもらったり、中には精神科に行って「この人は軍隊生活には無理がある」と書いてもらったりする人もいますが、裏道で兵役を拒否している人を私たちは支援していません。イエシュ・グブウルは、自分達の政治的な信念で拒否する人たち、直接的に「私はこれこれの理由で兵役を拒否します」という人を支援します。その多くは、選択的兵役拒否といって「私はここまではやるけれど、ここから先はやらない」ということを明快に上官たちに言う人たちです。また、ユダヤ教の超正統派の人たちは制度的に兵役を免除されていますが、国民の多くは、彼らに批判的です。特に超正統派は極右の支持者が多く、極右の思想を持っているにもかかわらず兵役を免れているのはおかしいと感じています。ただ、私は、超正統派に限らず、すべてのイスラエル人が良心に従って兵役を免除されるべきであると考えています。
私たちがサバイバルキットと呼んでいるこの小さな手帳は、全国のバス停でイスラエルの兵士たちに配っているものです。良心に従って占領地での軍務を拒否するように、また拒否するときの具体的なアドバイスを伝えています。第2次インティファーダの始まった時に1万部印刷しました。今、第二版を作っている最中です。拒否者に対する具体的な懲罰は普通28日間の投獄です。それから、予備役期間中は職についていないので、社会保障としてお金が支給されますが、刑務所に入れられるとそれをもらえません。28日間の投獄中にだいたい700ドルぐらいです。生活が困る拒否者には経済支援もします。最初のインティファーダの時は、拒否者の意志を削ごうとして、軍の側は3度ぐらい繰り返して投獄したりしました。現在は、私たち知る限りでは、最初に拒否したときに7日間から2週間の投獄になって、もう一回拒否をすると、今度は2週間投獄されて、合わせて28日というケースがいくつかあります。軍の側に明確な指針があるわけではなさそうです。期間についてはケースバイケースのようです。また拒否している人たちの多くは20代後半以上の年齢なので、一度決心すると、その気持を変えることはできないということがだんだん明らかになってきたからでしょう。
女性の兵役拒否者は、私たちが知っている限り一人です。エルサレムの傍の、パレスチナ人の家を壊してその跡に建てた高校で地理を教えるように命じられました。彼女は任務につく場所が、パレスチナ人の村を壊した所にあってその場所が適切ではないことと、自分には任務につく資格がないと拒否をしました。それで28日間投獄されました。女性の拒否者が少ないのは、女性兵士はほとんど占領地での任務を命令されないからで、この問題に直面することがないからでしょう。
また獄中での生活はどうなっているか、例えばタバコは1日に何本まで吸えるかとか、家族との面会の手続きはどうなっているか、また家族に電話を掛けるときはどうしたらいいのか等々、具体的な生活についてのアドバイスもしています。刑務所に入った兵士には、「こういう人が同じ刑務所に入っているから、その人と仲良くなって看守に交渉しなさい」とか伝え、家族が面会に行くための手続きや、必要があればイエシュ・グブウルが家族との面会の設定や交通手段を確保するとかもします。それから、過去2年間に渡って、拒否者たちが投獄されている刑務所に週に一度はデモと激励行動をしています。ただ一般的に考えられているよりは拒否者たちは獄中で酷い扱いは受けておりません。最近では、学者がたくさん投獄されたので、獄中で他の受刑者たちに講演会をしたりするくらいです。それからイエシュ・グブウルはイスラエルの新聞に広告を出して、イスラエル軍と政府の行為は戦争犯罪であると警鐘を鳴らしています。
数年前にレイボビッチという哲学者が、67年の戦争の時に500人の将校と兵士がもし武器を捨てたら、こうした事態にならなかっただろうと言ったことがありますが、確かに、現在1000人以上の人たちがイエシュ・グブウルに署名しているにもかかわらず、事態は変わっていません。そういう意味では、この運動は社会的な影響がないのではと思われるかもしれません。しかし拒否者たちが出るたびに、イスラエル社会に「占領地をどうするべきか」という問題が必ず投げかけられるわけです。ですから軍務拒否も、他の行動と同じく、占領の終結に向かっている活動だと思っています。
イスラエルの国内には非常にたくさんの平和運動があります。どの運動も規模は小さいが、イスラエル社会あるいは政治に対しては大きな影響力を持っていると思います。特徴的ないくつかの団体を紹介します。「ターユーシュ」という団体(アラビア語で共存という意味)のメンバーの半数はイスラエル籍を持っているパレスチナ人で、残りの半分はユダヤ人です。このグループは、外出禁止令が出されたパレスチナ人の村、何週間にもわたって封鎖されている所へ食料をトラックに乗せて届けるということをしています。それからまた、パレスチナ人の輸血が必要な人たちのために献血をしています。西岸の南部にヘブロンという町がありますが、それより南には洞窟に住んで昔ながらの生活をする人たちがいて、ターユーシュはその人たちの支援活動もしています。近くにユダヤ人入植地がつくられ、入植者とイスラエル軍が、この人たちを追い出したいと考えているからです。その土地に彼らは数千年にわたって住んできているのに。入植者たちとイスラエル軍は彼らを追い出すために、洞穴に行けないようにし、また井戸へのアクセスを禁じて、そのために人も家畜も水が飲めないという状況を強いたわけです。そして突然軍はこの土地は軍事訓練用地として非常に最適であると言い出して、そこを閉鎖しようとした。しかし、あきらかに軍用地としてではなく、近くの入植地を広げていくことが目的です。現在、イスラエルの最高裁に訴えていて、最高裁は住民の移動命令を凍結してはいますが、予断は許されません。「ターユーシュ」はイスラエルから平和運動の活動家をたくさんここへ連れていき、耕作など活動を支えています。というのは、パレスチナ人たちだけでこの耕地に行こうとすると、軍隊に阻止されて行けないからです。
「ニュー・プロファイル」という2年ほど前に作られたグループもあります。このグループはイスラエル軍に参加すること、つまり兵役につくことそのものを拒否している人を支援している団体です。若い徴兵年齢の人が参加しています。それから皆さんご存じの「ピース・ナウ」というイスラエル最大の平和団体があります。先週の土曜日、テルアビブで主催した集会には6万人以上の人たちが占領地から撤退せよということで集まりました。
イスラエルの二大政党は、リクードと労働党ですが、その間の違いはほとんどないと私自身は考えています。2年前にもバラク前首相(労働党)はパレスチナとの平和のためには占領地は放棄しなければいけないということは分かっていたはずです。そして今のリクード政権も、実は平和のためには占領地を放棄しなければならないことを分かっているにもかかわらず、こういう状態になっている。政府と世論のギャップというのは、イスラエルに限らず世界中どこでも共通の問題だと思います。ベトナム戦争時もアメリカの世論はベトナムからの撤退を求めていたにもかかわらず、ニクソンが実際に撤退するまでに何年もかかった。南アフリカもアパルトヘイトに対して世論の変化と実際に政府が現実的な決定をとるまでの時差があったわけです。それはイスラエルもまったく同じです。
非常に厳しい状況の現在ですが、3、4年前のことが思い起こされます。その頃にはイスラエル人も自由に自治区の西岸の街ラマッラに行くことが出来た、ラマッラのナイトクラブでジャズを聞くことさえ出来たわけです。今イスラエルとパレスチナの間は戦争状態です。しかし、ほんの数年前には和平が進んでいて、みんなが平和にいた時代もあったのです。私はパレスチナ人とイスラエル人が一緒に平和に共存することができると考えていますし、それを望んでいます。ですから、その為にもイスラエルは自国の境界の中に戻らなければなりません。それは占領地からの撤退、入植地からの撤退、東エルサレムを諦めてパレスチナ側のものにする、というふうに考えています。
私自身はエルサレムに住んでいて、日常的に自爆攻撃の恐怖を感じています。よくデモの帰りに利用していたカフェも爆破されましたし、繁華街のレストランは閑古鳥が鳴いています。しかし、占領が続く限りこうした自爆攻撃はなくならないだろうと考えています。
イスラエル人のほとんどは、入植地を訪れません。そこに行くのはたいへんに危険だからです。また最近の世論調査によれば、70〜80%のイスラエル人が、今すぐにでもガザ地区を放棄することを支持しています。それからまた、多くのイスラエル人はパレスチナ側と平和協定を結ぼうと思えば西岸地区の大部分を放棄しなければいけないことを知っています。ですから、双方で多くの市民はイスラエルとパレスチナの間の境界について、つまりどこからどこまでがパレスチナ領で、どこからどこまでがイスラエル領かということについても、ほとんど合意しているとさえいえるでしょう。しかし、残念なことに今、イスラエル側もパレスチナ側も指導者は普通の人たちのほうが理解している所に行き着き、それを実行するための勇気を持ち合わせていないのです。
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